改札を出て案内板に従い地上へ出ると、噂の通り雪が降っていた。
首元のボタンを押し、酸素シールドを外す。ここはエリアBでは比較的故郷に環境が近い星だ。
雪を落とすのに特化した角度のある屋根の連なり、遠く崖のように高く積み上げられた真白の壁を一瞥し、私と同行者は靴を履き替え広い歩道へと踏み出した。
「この白いものが全て氷の結晶なのですか。」
後ろから雪の壁を興味深そうに眺めて歩いていた彼は、数歩歩くと空を見上げて言った。
「そうだよ。ここに来る前にも話したけど、雪って言うんだ。」
「確かに、アイスボックスの霜のようですね。あ、あそこの屋根……つららができています。資料よりずっと巨大だ。」
ひとつ頷くと、彼はしっかりとした足取りでまた歩き始める。
思えば私も、本物を見るのは故郷以来だった。
エシイアは銀河系イリハイネのエリアBに属する小惑星だ。
イリハイネの中心に位置する恒星――私の故郷、地球で言う太陽のような存在――に近い場所にあり、全ての地域が寒帯。故郷と比べると寒すぎる程の星だった。
寒さに備えるための家の造り、男女問わず毛深い人々、カラフルなデザインの街並みが特徴である。
大通りに出ると街は賑わいを見せており、私と同行者は人の波を縫うようにして何かの煮物料理店らしき店に入った。
現地の言葉は読めないことが多いが、その看板はまさしく同行者が持っていたガイドブックでおすすめされていた店に違いなかった。程よく空調の効いた店内に入ると、先客のテーブルに置かれた小鍋からいい香りが漂ってくる。
「ここに来たかったの?」
私が問いかけると、同行者はコートの雪を払いながらさも楽しみというような顔で微笑んだ。
「はい。トヤヌクはあなたの故郷の料理に近いと聞いて……。」
満足そうに頷く彼が色男であったからか、若い店員が快い笑顔で脱いだコートを受け取った。
例に漏れず髭におおわれてはいるものの、小柄で整った顔をしたその店員は女性だった。体格がよく、厚い脂肪に包まれている。何年経っても他星の価値観には慣れないが、この星では彼女のような人が美人とみなされているらしい。同行者はというとそのあたりが少し理解できるようで、満更でもなさそうに見えた。先程は顔が受けるのだと思ったが、案外彼の図体のでかさが、現地住民の基準に刺さるのかもしれない。
同行者と二人席に着くと、地球の北国の郷土料理と似たような写真が並んでいた。鍋ものが多い。
「翻訳してよ。」
「はい。まずはトヤヌク。ヌルヒカ……聞いたことがない肉を使っていますが、この名前は道中よく目にしました。ここでは一般的に食べられているか、名物的な食材なのかと。次に、ヒーリュペカのコンソメ。この写真ですかね。見たところ野菜スープのようです。そして……」
同行者が次々に料理を指して解説していく様子を眺め、最終的には私も彼もトヤヌクを頼むことに決めた。
しばらく待てば、ほかの卓と同じように私たちの元にも小鍋が運ばれてくる。
外の寒さに冷えた体に、料理の熱気がじわりと染みる。私が指先を温めようと火に手を近づけると、同行者が火傷に気をつけるようにと忠告を寄越した。
トヤヌクは大きな肉塊を丸ごと加熱した煮込み料理だった。
料理を小皿によそい少し冷ましてから口に運ぶ。出汁や野菜などが異なるためトマトとは違う酸味を感じたが、味付けだけで言えばミネストローネあたりに近い料理だった。問題のヌルヒカは鹿肉に近く、アッサリした肉の旨みが酸味のあるスープとよく合わさっていた。
「確かに食べたことある味だけど、この肉は私の地域ではマイナーな感じかな。」
「そうでしたか。」
体を暖かな血が巡っていく。
何に追われることもなく、穏やかで満ち足りた時間だ。
「君がいると旅行が楽だ。」
私が言うと、同行者は冗談めいた顔を見せた。
「私と別れたら、アンドロイドを買ってはどうでしょう。最新型なら翻訳の精度はおそらく同じくらいですよ。」
「別に翻訳機と思って連れているわけじゃないんだから。」
私が勘定をして店を出ると、既に日が暮れる時間であった。
光の屈折は故郷とそう変わらず、ここの日没もまた赤かった。
遠方に見える雪の壁が紅葉色に染められていき、やがて山の陰に日が沈むと、表面の凍った海から夜がやってくる。
「美しい星だ。」
宿の高台から夜空を見上げ、同行者は言った。
耳をすませると、近くの海辺に流されてきた氷同士がぶつかって割れる音がする。波が全てを飲み込んでいく。
「いいところだね。」
私も同行者に同意をした。
私たちがユポ山に出発したのは翌朝のことだった。
街中とは段違いに深く積もった雪を踏みしめて慎重に進む。
急な斜面ではないものの、振り続ける雪に足跡を消されてしまうので、地図やコンパスを念入りに確認しながら先へ進んだ。
やがて整備された道を外れ、その外れた道をも外れた頃。三時間ほど歩いた先に、いくらか雪に埋もれた巨大な門が見えてきた。
「ここです。」
同行者は私の前に立ち、先を行くつもりのようだった。
「こんなに雪が積もるのに、都市部ではどうしているんだろう。」
「雪かきは欠かせないにせよ、それだけとは思えません。地中に熱を発する管のようなものを通して、溶けやすくしているのではないでしょうか。」
「意外と先進的なんだ。」
「この星は新天地のひとつですからね。そのようなインフラ整備がされていてもおかしくないかと。」
「それじゃあ……五百年くらいしか歴史がないってこと?」
「そうなります。」
同行者が右手を門のセキュリティパネルに近づけると、それは二、三度色を変えて点滅しやがて解除された。
盤上に『SUCSSE』という表示が浮かび上がる。
「地球語だ!」
同行者は興奮を隠しきれないでいる私を担いで周囲の塀から中へ侵入した。せっかく開くようになった門は、やはり積もった雪に阻まれて機能しなかったのである。
有刺鉄線の張り巡らされた塀を跨いだことで彼のコートはいくらかボロボロになってしまったが、中身は無傷そのものだった。こんな時新人類がいると非常に便利だ。
私達は対侵入者用の罠に気をつけながら、その敷地の中へと進んで行った。
門の内側には巨大なスペースがあり、庭と言うよりは巨大な乗り物が出入りするための駐車スペースという印象だった。そのスペースを突っ切って真っ直ぐに進むと、いかにも研究所、もしくは観測所といった風貌の近代的な建物が見えてくる。
しかし、外から見た限りその建物には人の気配が全くなかった。
周囲に積もった雪はやはり高く、出入り口を半分ほど塞いでいる。その有様は、この場所が長い間使われていないことを示唆していた。
私達は正門と同じ手順でセキュリティを解除し、屋根から中に侵入することにした。
幸い、屋根には予想通り非常口が用意されており、雪を除去すれば何とか中へ入ることは容易だった。
「気をつけて。」
差し出された同行者の手を借りて室内へ降り立つ。
やはりそこに人影はなく、そして真っ暗な場所だった。
「電気自体は通っているみたいだけれど……。」
私達は歩きながら電源を探したが、旧式のボタンスイッチは使っていないようで、結局、メインコントロール室と思わしき場所に辿り着くまでバッテリーの切れかけている懐中電灯を使う羽目になった。
建物一階の奥まで歩いて私達にわかったことは、やはりここは何かの研究所であるという事実と、そして既にここは無人であるということだけだった。
「遅かったようですね。」
パソコンの一台すら残されていないデスクを眺め、同行者が言った。
「いた可能性程度のものはあるけど、荷物も引き払われた後みたいだ。」
「では次の候補はシュマハーンですね。」
「切り替えが早いな。」
期待させてごめん、と言うと、彼は珍しく私を笑った。
「AIは期待なんてしません。」
暗くなってきたので、私達はその日研究所に泊まることにした。
冷たい床に寝袋を広げて横になると、通っていた小学校を思い出す。
その隣の中学で、理科の教師をしていたのが母だった。やがて宇宙から訪問者が訪れ世間が騒がしくなると、母は、なんだかよく分からない機関に転職し、気づいたら会えなくなっていた。
微睡みながらふと同行者を見ると、彼は眠ってなどいなかった。
異邦の技術を用いて作られた人工生命体である彼には、そもそも眠る必要が無いのだろう。窓の外を眺めているようだったので、何を見ているのか問いかけてみる。彼は夜でもはっきりと目が利く。見間違えたりなどしないし、嘘をついたりもしないのだ。
「ヌルヒカです。」
「見たことがなかったんじゃ?」
「昨日宿でパソコンを貸してもらったんです。調べたら写真が出てきました。」
なるほど、観光客向けのガイドブックには現地の一般的な動物のことなど載っていないが、ネットで調べればそんなものは五秒で出てくる。
「トナカイに似ていますよ。」
もぞもぞと寝袋から這い出して窓を覗くと、確かに角の生えた動物が見えた。距離があって見えにくいが、同行者がそう言うのならこれがヌルヒカなのだろう。
同行者が彼らのいる方向を懐中電灯で照らしてくれた。逃げられるかと思ったが案外大人しい。彼らは雪の中に鼻先を埋め、その下の植物を食べているようだった。地球でも冬になると氷の割れ目から餌を取る動物がいるが、彼らはよりそのような食事の仕方に適しているのだろう。少し目が慣れると胸元に白い毛が生えていることが分かり、それがなんだか可愛らしく思えた。
「かわいいね」
思ったまま口に出すと、同行者もそれに同意した。
私達は翌朝山を降り、せっかくだからともう一泊してエイシアを出ることにした。
「目的地を設定します。シュマハーンでは博士が見つかるといいですね。」
朝早く愛用の宇宙船に乗り込むと、同行者は慣れた手つきで座標の確認を始めた。
「母さんが生きているうちに会えればいいけどな。」
私はと言うと早々に荷物の確認を終え、自分たちへの土産に買った揚げ菓子をひとつ齧った。同行者のためにもうひとつを運転席の隣に置く。ついでにインスタントのお茶を二杯入れて、こぼれないようにしっかりとタンブラーに蓋をする。出発の準備はばっちりだ。
この小さな機体で私たちは、数時間ごとに運転をかわりながら星から星へ移動するのである。
「行きましょう。」
たまたま同じ人間を探していた同行者との旅を、密かに楽しんでいるのは内緒であった。
いずれお互いの目標を達成するまで、せいぜい彼との楽しい旅が続けばいいと思う。